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リスクリテラシーって何?

最近「リテラシー」という表現を聞く機会が多いように思います。科学リテラシー、ネットリテラシー、金融リテラシー、情報リテラシー、ITリテラシー、メディアリテラシー、統計リテラシー等々。その一つにリスクリテラシーがあります。

我々はリスク教育研究会を名称とした任意の集まりです。この会のメンバーは、リスクリテラシーの向上が人々(我々を含みます)の生活や様々な場における幸福の増大に貢献するものと考えています。もちろん様々な分野で活動している(つまり分野が違う)メンバーの集まりなので、それぞれの力点は違うでしょうが、根本的にはそう考えてこの会に参加していると整理できます。

しかしそういいながらもリスク教育研究会のメンバーによる話し合いの際に時々「結局リスクリテラシーって何?」という話に戻ることがあります。

広辞苑を見ると「リテラシー」は「読み書きの能力。識字。転じて、ある分野に関する知識・能力。「コンピューター―」とあります。このことからいずれの「・・リテラシー」の場合も「向上することが素晴らしい」という前提になっています。その前提から考えると、何か正しい考え方や知見があって、それを身に着けることがリテラシーの向上という話になりそうです。実際、そういう性格の「リテラシー」が多いと思われます。

しかしここで「リスクリテラシー」に限定して考えると、少し性格が違うような気もします。例えば食品を考えてみましょう。ある人は食品に自然を求めます。添加物はできるだけ少ない方が良い、農薬は使わない有機農法が良い。しかし別の人は、食中毒防止のために添加物は適量あってほしい、農薬を使えば安全な農作物が必要量供給できるから、適切に管理して使用してほしい。いろいろな考えの人が存在します。

もう一つ。最近では生活必需品の一つとなったマスクの着用を考えてみましょう。人通りの少ない道もあるし、多い道もあります。また大型小売店に立ち寄ることもあるでしょう。こういう状況下で、ある人は「片時も離さずマスクを着用したい」と考えています。一方別のある人は「マスクは持ち歩くがあまり着用はせず、必要な時だけ付けよう」と考えています。

本来これら考えの相違は「どちらが正しい」のように白黒決着をつけ、「間違ったほうを矯正しなければならない」という話とは違うように思えます。どれかを正として他を認めないという話ではないでしょう。

 すると、ここでいうリテラシーとは何でしょうか? 食品について、食中毒はどうして起こるとか、これを抑止するための添加物についてその効用と毒性などの事実に関する情報、またマスク着用の効果とか、どういう時に特に必要とするか等の事実に関する情報は、どういう考えの人であっても把握する必要があるでしょう。これらはどのような人にとっても同一の情報です。しかし個々の結論-行動は違っています。それぞれの行動において「自分の感覚」があって、判断の際、その感覚が優先されているということでしょうか。するとここでのリテラシーは「自分の感覚的判断にちょっと立ち止まってプラスした視点(事実だったり、自分と違う意見だったり)を考慮して考えてみる習慣のようなもの」といえそうです。

自分が行動する際に、自分がこだわる一つの視点だけでなく、それ以外の視点も入れて、ちょっとだけ考えてみる。そういうことができるようになることがリスクリテラシーの一部ということで良いのではないか。それだけでも十分価値があると筆者には思えます。さて皆さんはどう思われるでしょうか?

※文末筆者注記                                                                                           個別のテーマ(マスクとか、農薬とか、様々)については、特定の機関等がリードして社会に同調圧力や間違った対応を生み出しているという議論もあるようです。しかしこれらは個人の意思決定が外側に支配・規定されて行われているという側面に関する議論なので、ここでは対象外とします。ここでの議論はあくまで個人の考え方の話に限定します。

 

(小山 浩一)