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人生100年時代・老後生活設計・「2000万円」

「人生100年時代」という表現が当たり前に使われるようになりました。平均寿命や平均余命が伸び、また今後も伸びるとの情報に接して、多くの人が自分の人生が長くなりそうだと思うようになったものと思われます。そのため「老後の生活設計」が私たちとって次第に大きなウェイトを占めるようになっています。

この問題については社会的な「騒ぎ」が令和元年にありました。きっかけは金融庁の金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」(令和元年63日公表)です。

同グループは、総務省の2017年「家計調査」の数字では65歳以上無職2人世帯の場合、公的年金等の収入から税・社会保険料等の非消費支出を差し引き(=可処分所得)、そこから消費支出を差し引くと、毎月5万円程度の赤字になっており「この毎月の赤字額は自身が保有する金融資産から補填することとなる」[1]と整理しています。老後の期間が長くなり、この赤字が毎月続くと仮定して計算すればどうなるでしょうか? 同報告書は「・・・夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみ無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ2030年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純平均で1300万円~2000万円になる」[2]と述べています。「不足の総額」でしたが、「2000万円程度の金融資産が65歳までに必要」という情報になって伝わったようです。

それから4年が経過しましたが、いまだに「2000万円」という数字が、老後の経済準備における基準になってしまっているようです。実際「年金不足問題」とネット検索すると、上位に「2000万円」の数字が出てきます。

時期は違いますが、2022年の家計調査における「家計調査報告(貯蓄・負債)」によれば日本で2000万円以上の金融資産を保有している2人以上世帯割合は32.2%程度、「貯蓄現在高の平均値(1901万円)を下回る世帯が約3分の2(66.3%)を占め、貯蓄現在高の少ない階級に偏った分布となっています」[3]

金融資産と反対側に負債もあるので、負債を差し引いて考えると、実質的に金融資産2000万未満保有世帯の割合は更に高まると考えられます。したがって令和元年当時、騒ぎとなった「2000万円も貯蓄できない」という反応自体は不自然とはいえないと思われます。そして現在にいたるまで「2000万円」という数字が(それが正しい数字かどうかと別にして)、利用可能な身近な情報として私たちの頭に刷り込まれてしまいました。これは行動経済学でいう利用可能性ヒューリスティック[4]の事例の一つといえそうです。

 先にあげた金融庁の金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書は、2017年の家計調査によっています。しかし家計調査はそれ以前も以後も継続して行われており、毎年、年平均の結果が公表されています。そこで上記の(過)不足額とその30年分の合計を2017年年以降の家計調査で一覧にしました。その一覧が図表1です。

図表1 65歳以上無職夫婦2人世帯の家計収支一覧(各年の家計調査概要報告より抜粋して筆者集計)単位:円

 

項目

 収入①

収入②

 収入計 非消費支出 可処分所得  消費支出 過不足額  過不足
 項目備考 社会保障給付※ その他 A①+② B C(= A-B)   D E(=C-D) F(=E×360月)
2022  220,418 25,819 246,237 31,812 214,425 236,696 ―22,271  -8017,560
2021

216,519

20,057 236,576 30,664 205,912 224,436 -18,524 -6668,640
2020 219,976 36,684

256,660

31,160 225,500 224,391

+1,119

+399,240
2019 216,910 20,749 237,659     30,982     206,677 239,948 -33,271 -11,977,560
2018 203,824 19,010 222,834     29,092 193,742 235,615 -41,873 -1,5074,280
2017 191,880 17,318 209,198     28,240 18958 235,477 -54,519 -1,9626,840

※社会保障給付は主に公的年金給付で90%程度を占めている。

図表1の最下段に2017年数値が記載されています。毎月の不足額(可処分所得-消費支出)は月54519円です。この数字が30年(360か月)続くと、不足額は19626840円。約2000万円です。これが金融審議会市場ワーキング・グループの数値の根拠です。

ところが翌年2018年の家計調査では、月の不足額は41873円、30年間の不足額は15074280円と減少します。直近2022年の数値では不足額は8017560円。「年金不足2000万」は、直近では「年金不足800万円」です。更にその少し前、2020年家計調査で同じことを行うと不足は解消され、月の黒字1109円となっています。30年累計では超過399240円。2017年家計調査「年金不足2000万円」は、2020年家計調査「年金超過40万円」(で大丈夫!)、という結果になっています。 

 家計調査の数値は、以上のように毎年変動しており、特定の年限の数字(ここでは2017年家計調査による「2000万円」)だけをその後も正の数字として扱う理由はありません。理由がなくても「2000万円」と言い続けるのは不可思議です。いったん「2000万円」を頭から消して自分の家計実態にあわせて検討する必要がありそうです。 

なおここまでの取り上げ方は、上記、金融審議会市場ワーキング・グループ報告書の内容に準じたものです。しかしそもそもの疑問もあります。ここでは二つ問題提起のみしてこの稿を終えたいと思います。

一つ。そもそも「毎月の不足額を30年間累計して65歳時点で必要な額だ」と考えるというのは正しいのでしょうか? ある人が65歳になって、毎月22271円不足(図表1上段2022年数値)したとします。これを12か月すると267252円です。65歳の1年間で必要なのは約27万円ですが、それでも65歳になったときに30年分の不足額約800万が手元になければならないのでしょうか?この問題は金融リテラシーに属する問題と思われます。

もう一つ。そもそも「消費支出」は食べたり、使ったりして消えてなくなるものの支出です。しかしこれ以外にも住宅ローン、生命保険や損害保険の保険料支払い、クレジットカード購入返済などを行っている人がいるでしょう。これらは消費支出に反映しません。毎月のお金の支払いは消費支出だけでなく資産・負債増減に関わる支払いもあるので、これらを含めて検討する必要があると思われます。

 小山 浩一

[1] 金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」10頁。

[2] 注記「1」記載同報告書21頁。

[3] 総務省「家計調査報告(貯蓄・負債編)」2022年平均結果(二人以上世帯)2頁。

[4] 「正確な情報を手に入れないか、そうした情報を利用しないで、身近な情報で即座に思い浮かぶような知識をもとに私たちは意思決定することがある。これを、利用可能性ヒューリスティックという。」(大竹文雄「行動経済学の使い方」岩波新書39頁。